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中国古代の儒教家から、帝王学、社長、民衆、政治の心理学を学ぶ。

中国古代の法家思想 韓非子

まず先に現代の日本の政治、治安、文化、流行は現代背景が現代人が独創的に創造した産物ではなく、これらは広くとらえれば世界中の歴史、狭くみるなら自国の文化のバトンタッチによって時代を変えながらも進化と衰退、平和と破壊を繰り返し、文化を継承しながら今にいたるわけです。


次に歴史的な儒教家ともなると、誰でも知っているのが釈迦、キリスト、日本人なら親鸞と有名ですね、それ以後の日本の宗教はビジネス化してしまってどれも中国古代の儒教で例えるなら孔子の様な尊さは微塵もなく、釈迦から親鸞へとバトンタッチされた歴史の遺産的な継承は私の知る限りでは出会った事がありませんし、出会えばその刺激や感動を書く事でしょう。


そして中国、ロシア、アメリカの政治、歴史となると興味がない人は儒教という言葉さえも学ばず、知らないのが社会問題に対して討論できない日本文化の現実問題ではないでしょうか?


本題ですが、古代中国古典『四書』があり、その中でも有名なのが孔子と孟子と言われ論語(孔子)、孟子(孔子を思想を受け継いだ人である孟子)が『四書』として儒教の経典として尊重されていました。早速、私は日本文化や社会のバトンタッチを説く一部のピースにもなると思い、中国文化の歴史のバトンタッチに興味をもったので著者(金谷治さん)の孔子(論語)、孟子(孟子)、荘子、韓非子、孫子ととりあえず、中古でいっとけ購入しました。


今すぐ、韓非子について語りたい、書きたいけど・・・
この感動を伝えるには・・
韓非子を語るにはまだまだ、前置きが必要なんですね・・・
かなり、ここまで簡潔に説明しているつもりです。


ここからは中国古代経済評論家でもないので、私の主観になりますが。


大きくわけて、中国古代文化とは分別すると、歴史的に釈迦やキリストと対等の位置にあるのは教祖という意味で『孔子』ですね、釈迦と悟りの仕方がクリソツです。釈迦は断食修行の過程で人間を救えないと悟り、その後神様が現れ、それでも教えなさい、教える事があなたの能力と宿命だと命じたという話を聞いた事があります。それと同様に孔子も論語(著者金谷治さん)で金谷治さんはこう説明しています。


『 賢者とは政治が腐れば政治を避けて、次に国を避けて、次に党首の顔色を避けて、次に付き合う人間をも避けると。』


この意味は釈迦の悟り『 釈迦がどれだけ悟っても、世の中愚者が多すぎて悟りなんて効率化悪いですね 自然と一体化して世論から離れて暮らすほうがどれだけ利口な事なのか・・ 』と同じです、自身の人生経験から政治を支配し破壊する者のほうが誕生率が高く、短い余生の中で精神衛生を汚さず、私利私欲に感化されず、豊かに過ごすには何が最適であるか?を考えたという事です。


他には孟子の性善説(人は生まれながらに善である※釈迦や仏教と近く、全ての人間は善だから、祈れば救われるみたいな)や韓非子の性悪説(人は生まれながらに業と欲をもっているので、犯罪者は結論から救うの無理なんです※キリストのアダムとイブの理念も同じ)、歴史的にみると儒教家は心理を説く過程で同じ結論にいたるようです。
他にも道家思想と言われる宗教チックな荘子、老子という儒教家も有名です。例えるなら釈迦みたいな教祖というべく、神秘論な感じですね、万里全ての物は一つなりとか自分の心の反映が相手なのであるみたいな、最初はこの境地は衝撃的だと思いますが、時間がたつにつれ、そういう思想に需要があった時代だったのがわかりますね。あくまでも宗教的な理念ですね。
滝に打たれ、欲を浄化し、釈迦や神秘論が強い儒教家を学び修行によって、俗世界から離れ、我は今天地全ての象徴を理解し万物全てを我とした様な思考であり


次に、愚者は何を説明しても、悟りを説いても、ありとあらゆる手法で帝王学を教育しても、聖人(釈迦や孔子の様な、社会的な位、立場を意味する)を馬鹿にし、裁き、退き、処罰する。


これは韓非子(著作金子治)で書かれている様な内容ですね、金子治さんはこう説明しています。
第三章、説言(愚かな大王や統治する権力者や殿様に道理を説いても誰も聞いてくれない)
内容は簡潔にいうなら、愚者である殿様に『孔子の論語』の様な道理でこのままだと
国は他国に制圧されます、民衆の統制が信用がなくなります、過去の大敗したデーターではと理解を求め、愚者には愚者なりに100通りの説明しても愚者は理解を求めたくないわけです。


話はまた前置きに戻りますが


次に孔子に魅了されて孟子が誕生するが、論語というのは私的に説明すれば抽象表現であり、説明するなら海外儒教の小説にて、様々な抽象的な言葉を学んだ事があって、その時に本書に書かれていたのが言葉の内容を詳細には書かない意味は言葉の解釈の仕方は千差万別であり、それらはその個人個人の現在の人生経験や力量から得れる悟りの境地だと読み、これは『 思考能力トレーニングに最適だな 』と思った事がありましたね。他に面白かったのはどんなに探しても出会えない人がいるなら、今は立ち去りなさい、今のあなたはまだ出会う力量、タイミングではない、もし会うときが来たら彼から自然と近寄ってくるだろうとかね。


どんなに探しても出会えないのなら、今はその時じゃないんだよね
この言葉、衝撃的でした。
内容はとても神秘的で初心者向けの儒教家を学ぶ本としてはとてもナイスでしたね。


論語も呼んでいて思うのは抽象表現の解釈する楽しさ、それに近いのじゃないのかなと、孔子の伝えたい意味と筋道はあってもその奥深い真実は個人個人の力量でしかなく、孔子には孔子しか理解できずといった所だと私的に思いましたね。
しかし正直、孔子は断片的な内容で、抽象的な表現も強く、解釈する芸術や神秘的な悟りの境地を学ぶには楽しいけど、釈迦や海外儒教家の思想を知っている人には


あぁ、みんな偉大な人って、山奥で魚釣って仙人として俗世界(欲と業)と離れ関係なく、親しい友人とのみ暮らすのが人生の答えだみたいな、同じ事、いってるというのが
私的な感想です。経済の世界で生きる感性とはまた別物ですね。


そして、こういう歴史的な偉大な人物の伝承があって、いろいろな時代の変化や影響化のもとに後輩が誕生し、孔子から孟子、それ以後は荘子、老子、韓非子といった様々な儒教家が経験から国の大敗、統治と孔子の思想をベースに政治論を唱え、またまた神秘だけに没頭したりと、色々な儒教家ジャンルが誕生するわけです。そこで政治戦略に精通している韓非子(第一冊 飾邪)についてようやく


書きます。(涙)


著者金谷治さんの韓非子は四巻(全 五十五編)から構成されていて
韓非子の名文が始皇帝となる素王を感動させ、自国へ派遣させるが、そこで勤めていた
、以前に同じ師匠(荀子)のもとで共に学んだ仲間(李斯)に立場が逆転するかもと、妬まれ嫉妬され、牢獄につながれて毒殺されたという


激動の儚い人生です。


しかし、その名文が後世にも伝承し中国の政治思想、とりわけてその専制支配の論理を知るには『 韓非子 』は必読の書と金谷治さんは書いてあり。


私が思ったのは、孔子(論語)、孟子(孟子)、荘子、韓非子と読んで、これが一番
面白いと思いました。何故なら韓非子は孔子の偉大な先人達の教えもありの、この治安が崩壊していく時代をどうすれば統制できるのか、一生懸命に考えた人なんじゃないかなって思ったからですね。ただこの時代の人達のおしいのは心理学を踏まえていくのだけど、考え方が善か悪かといった固定概念な思想になっていて、釈迦でいうなら、それは違うよ主観で善と悪を決めるならそれは本人都合でしかないとなる


本来なら、善と悪という表と裏といった狭い視野や概念ではなく、人の種類や遺伝子を医学的に血液型分析、心理学をもちいて分析するべきだったのかも知れないが、医学がそこまで発展していなかったのが原因なのかも知れない。
人材派遣でも担当企業から『B型NGだから、うちはA型企業だからB型は虐められるから入れるのやめて欲しい』というのがあるようです。


もし、韓非子もこういう血液型判断ができる平和な時代だったらこの性善説と性悪説はまた違う、名文になっていたんだろうなと思います。


ここからが韓非子の素晴らしさとして、本題に入ります。


韓非子の心理は一言でいうなら、情とは身を滅ぼすきっかけでしかなく、政治、ビジネスにおいて主従関係は利害の一致でしかなく、人間とは利益だけを追求する存在である。これらの言葉のシビア感である背景には国や聖人が滅び、滅ばせる者が権力者に多いという事実をもとに時代の背景から生まれたのだなと思います。


私がいつも思うのは、文献が古く偉大な人物であり、ノンフィクションであるほど本質があり、反対に新しいほど教養も分析力も歴史も欠如していて、ただあるのは著者本位な時代の文化に合わせた損益重視の解釈のみと思っています。教養や知識に投資するではなくて著者の印税に寄付する感じですね。


私の目的は偉人達から心理学を学ぶ。


そこで金谷治さんの韓非子の第1巻から、これは素晴らしいと思ったのは


第十二項の説難(権力者や君主や社長に進言する説き方の難しさを述べる。)


※文章参照

およそ君主に説くことの難しさは、君主に説くほどの内容を自分でわきまえることが難しいのではない。
また自分の意向をはっきり伝えるまでに弁舌を振るうことが難しいと言うのでもない。
さらに自分の思い通りに自由自在に弁じたてて語りつくすことが難しいと言うのでもない。
およそ説くことの難しさは、説得する相手の心を読み取ってこちらの説をそれにあわせることが出来るかという所にある。
説得しようとしている相手が高い名誉を求める心でいたとしよう。それなのに、その相手に大きな利益を得る話をしたなら、相手はこちらの事を下品な奴で自分を俗物扱いしていると考え、きっと見捨てて遠ざかるであろう。と続く


※これらの素晴らしいのは相手の心を掴めていないと、何も意味をもたず、スタート地点から一歩も先へは進めないという事です。逆に相手の心とこちらの心が合致しないのもまた、何も始まらないという事です。


次に孟子いわく、孔子がこういった
人徳をもって説くなら、民衆は犯罪を恥と感じ、治安は常識へと導かれるだろう
法罰をもって説くなら、民衆は法の抜け目だけを探し、犯罪をものともせず、治安は崩壊するだろうと

しかし韓非子はこう説いている、それは時代の背景にあってただけでしかなく、人徳が通じたのは『 人が少なくて物質の豊であった古代では、人の欲望はまだ小さくて道徳が優先的に力があり、人が増えて物が足りなくなった中世では人々は頭を使って欲望をだして争うになる、現代では利益を追求する社会体制へと代わり争う時代になった』人々が平和に生活できた争う必要も最低限だった時代だったから道徳は力があり、戦乱が続き生きる為に奪い合う時代がきた時には人徳はもはや国を整備するには効果をもたず、必要なのは恩賞と刑罰による国の統制が最も最適である。


そこで新しい利益追求型の時代にあった支配の原理を制定する必要がある
まず利益に走る人々を統制するには恩賞と刑罰を与えるのが最も最適である。
それが君主の気まぐれで行われるようでは、もちろん体制は安定しない。
必ず厳格に客観的な基準に従う事が必要である。ここ厳格な法術主義の施行が要請される。そしてこの新しい法術主義を唱えたのが韓非子である。


後は面白いのは十二以降の


第十三(和子)法術の師が君主に進言を受け入れられることの難しさを『和子の壁』という、有名な説話を枕として訴える。( どんなに頭脳明晰で役職があって優れて雇用されていても、君主に意見するのが困難な環境であった )


第十五(亡懲)国が滅ぶ徴候とはいかなるものか、四十七条にわけて具体的に説明する。


第十六(三守)君主の厳守すべき三つの事を述べる。


とこれでまだ著者金谷治さんの韓非子が3巻もあるのかと思えば、ブログにまとめるのも手間隙だけど韓非子の人生や経験から内容の濃さと韓非子ドラマをみているようで、面白いと思う。