syakasyakapotetoのブログ

中国古代の儒教家から、帝王学、社長、民衆、政治の心理学を学ぶ。

大学・中庸 (訳注 金谷 治)

元日からブックオフは大盛況、元日からみんな働いている


素晴らしいですね。


そんな元日から、中国思想の本を中古にて3冊購入してきました


・大学・中庸(訳注 金谷 治)
・孫子(訳注 守屋洋)※いろいろな訳注で総合的評価を目的として
・韓非子(訳注 守屋洋)※いろいろな訳注で角度の違う見解を目的として


去年も学ぶ事が多かったし、今年もまだまだ学ぶ事は多い
私は三国志が大好きで諸葛孔明が大好きなんですけど
嫌いなのは曹操(孫子大好き)ですね。
三国志の漫画で、諸葛孔明が蔵に入り勉学に没頭し蔵からでてこなかったという
説があり


歴史的な学問を全て習得できないと、『 賢者 聖人 』とは何かわかれないはず。


と感じ、現在は中国思想を勉強しています。


個人の才能や帝王学を学べる環境に優れていても、歴史的な賢者達の文献を学んだ


者にかなうわけがないからです。


孫子の軍事戦略を尊い学んだ者と戦って戦略で勝てるわけがなく



韓非子を尊い学んだ者に性悪説でかなうわけがない



孔子を尊い学んだ者に仁徳でかなうわけがなく



釈迦を尊い学んだ者に道理でかなうわけがない


少しでも優れた、将として人間としてありたいなら『 歴史から学ぶ 』


以外の答えなし、85歳になっていまさら、こんな境地かと


道は、ながいなと思いました。


何故なら、歴史から学び、偉大な人から学んだ後には国の歴史を学ばないと・・
そして日本でもそうですが、他国の人に本当の事を教えないのがセオリー
それだけの文献もないとして、さらに


中国をある程度、学習したら、次は他国です。


経済力のある都市の偉大な政治家や儒教家を学び、後に歴史と


現代ではそれだけ学んでこそ、過去の偉大な聖人である『 孔子 孫子 韓非子 』
の後ろ姿をみれるのかも知れません。


本来はここで政治家として経験値をつめば、本当の賢者である『 韓非子 』
のスタートラインにたてるのでしょうが、それはありえないので


ひたすら偉大な賢者達から知恵を学ぶのみ。


大学・中庸 (訳注 金谷 治)


※本文参照


聖人の仁徳を世界中にひろめ安定させようとした人は、まずその国をよく治めた。


その国をよく治めようとした人は、まずその家を和合させた。


その家を和合させようとした人は、まずわが身をよく修めた。


わが身を修めた人は、まず自分の心を正した。


自分の心を正そうとした人は、まず自分の知能(道徳判断)を十分におしきわめた。


※この文章を読んで思ったのは、今の自分でいうならとにかく、偉大な賢者の知恵(文献)をただ習得するのみ。それが次ぎへとつながる、そして次がまた次につながる。
ゴールが設定されてるなら、スタートは知識(仁徳、政治、歴史、偉大な聖人達の知恵)の習得から、とてもいい名言ですね。


歴史の知恵を選択肢として活用する限りは、軸に迷いもブレも反省もでないのに対して
自分の知恵を選択肢として活用する限りは、常に軸に悩みと経験から失敗を学ぶ事になる。地盤を固めないとポテンシャルにみあった城は建てれない。


元日から、素晴らしい書物に出会いました。

孫子 (訳注 金谷 治)

『 孫子 』十三編は、兵書であり、その他6つを加えた
ものを7書といい、中国の代表的な兵書である。


孫子はその中でも最も優れた古典と呼ばれる。


『 孫子 』の作者は春秋時代の孫武又は戦国時代の孫ヒンのどちらかといわれており、
新資料のなかでも両孫子の混合あることも想定できる。
著者は孫武として、原型はほぼ戦国中期の孫ヒンの前、あるいは同じころの成立と考えておくのがよいとも言われている。


孫子を読んでみて思ったのは、軍事戦略の内容だけに考え方がシビアすぎますね、
戦争なので手段や仁徳なんていっている場合ではないのは理解できますけどね。
しかし現代で、対人関係でこれをやると手段を選ばない勝つだけの仁義も仁徳ないただの卑劣か卑怯かサイコパスと思われる内容だと私的に思います。


仁徳も書いてありますが、それはあくまでも将と兵の信頼関係として書かれていて、
他国の制圧となると冷酷無比、映画の不夜城を思い出すような内容です。


孫氏 第一項


戦争とは正常なやり方に反したしわざである。
強くとも弱く見せかけ、勇敢でもおくびょうに見せかけ、近づいても敵には遠く見せかけ、利を求めているなら誘い出し、混乱しているときはそれを奪い取り、充実している時はそれに防備し、強いときはそれを避け、怒りたけっているときはそれをかく乱し、謙虚なときはそれをおごり高ぶらせ、安楽であるときはそれを疲労させ、親しみあっているときはそれを分断させる。


こうして敵の無備を攻め、敵の不意をつくのである。


※なんか、ただの卑怯者にしか思えませんね。例えば知人の嫁を奪おうとするが為に、偶然を装い、下調べして、旦那、奥さんに対しての不安をお互いに情報操作によって与え、家庭に傷を入れながら、最後は嘘のストーリだけで、略奪するまでをすべて計算するような、そんなサイコパスのような人格じゃないと、こんなの成立できないような気がします。孔子とか韓非子とかはこんなの無理でしょうね、仁徳を尊重し聖人である限り。
だって、これ韓非子とかでいうなら、邪臣が国を滅ぼす時の術で説かれてますからね。
しかし、こういうの学ぶメリットは他にあるんです、卑劣な戦術を学んでいれば相手に使われた時に知識として防衛、対応、回避、反撃ができる。


そして現代では卑劣な人間ほど『 孫氏 』を尊重し褒め称えてますね。


2項


そこで敵兵を討つには、ふるいたった気勢が必要なので、敵の物資を奪い取るのは実勢の利益のためであり。車戦で車10台以上を捕獲したなら最初に捕獲した者に賞を与え
の様に敵への被害度に合わせて功績をだした最初の者から賞を与えていく


まさに、欲望でふるいたたせ、敵をうつ


※こういうの、ほんとうに人間の欲望の心理操作とかは、本当に嫌いですね。
ヒトラーみたいです。


5項


戦いに巧みな人は勢いによって勝利を得ようとする、人材に頼らないことで、うまく人々を人選して勢いのままに従わせることができるのである。
勢いとは木や石をせんじんの高い山から丸い石をころがすように、それが戦いの勢いというものである


※兵士を道具としておもってませんね。勢いって、自爆しにいく特攻隊じゃないんだから。


こういう内容ばかり、書かれています。孫子はあくまでも悪が活用したら
ヒトラー級の戦略にはめられる事になるでしょうし、逆に知っておけば対応
できる学ぶ価値はそれくらいですね。こんなの対人関係でつかってたらサイコパスですね。


とにかく敵をうつには、こちらが弱りきってるとだませ、スパイも使って情報をすべて調べて、欲があれば誘い出し、陰から欲でつって他人をもちいてだましうて!だましうつにも天候、場所、タイミング、策略、確立は高くないなら責めるな、回避しろ。


それが軍事戦略だ、みたいに書かれてますね。


孫子 完


書いてて楽しくないですね。


今年、一番に心に染みた名言は韓非子や孔子です。


聖人は満たされてはいけない、何故なら満たされるほど災いがとなりあわせだから
だから聖人は衣類も食も倹約であり続けれる人なのだと
確かに満たされようと思うほど、乾きは潤わず、欲望だけが溢れてきますよね
これを仮に性悪説というなら、やはり人間は欲がある限りは性悪説だと私も思います。


食欲、性欲、睡眠欲、物欲、金銭欲、名誉欲と欲のない人間は修行僧以外はいない。


それで、これは欲望を限りなく排除できるからこそ、聖人として邪悪を見抜けるという意味です。私的に思いますが、邪を見抜くのは私には簡単なんです、欲望の原動力を見抜けばいいだけだから、でもそれは常に欲望を限りなく排除しているからこそ『 欲望の初動 』がみえるわけです。


欲望だらけの人は『 美女 』がキーワードにでると、目がギラギラするか急に巧みな話術で情報収集をしてきますからね。
欲望を隠して、近づくそれは不可能なんです、何故なら欲望を消せるなら、それができるなら我慢や理性があるわけで、欲望が制御されているという事ですからね。


性欲=女である以上は、ターゲットに少しでも近づこうとする


どんな理由でも関わろうとする事が、これが欲望なわけですね


残念ながら、隠す事は不可能。

韓非子 (著者 金谷治) 第一巻 10項 十過


韓非子 (著者 金谷治) 第一巻 十過(君主として注意すべき十の過誤を述べたもの。)


※本文参照


十の過ちについて。


第一 小さな誠実をとりあげていると、大きな誠実をさまたげることになる
第二 小さな利益にひかれていると、大きな利益をそこなうことになる。
第三 行動がかたよぅて、かって気まま、外国の諸侯にも無礼なことをしていると、やがて身を滅ぼす結果になる。
第四 政務に耳を傾けないで音楽を聴くことを楽しんでいると、やがて身を滅ぼす結果になる。
第五 貪欲でいねくれて利益ばかりを求めていると、国を滅ぼして命をおとすもとになる。
第六 音あの舞楽におぼれて国の政治をかえりみないでいると、わが身を危険にする
第七 調停を離れて遠くに遊び、いさめる人を無視していいると、わが身を危険にさらす
第八 過失をおかしながら中心のことばを聞き入れず、ひとりで自分の思ったとおりにしていると、名声を失って人の笑いものになっていく始まりである。
第九 内には自分の力をよく考えず、そとは諸侯に頼っていると、国土をけずりとられる心配がやってくる。
第十 国が小さいのに礼を守らずいさめる臣下の意見ももちいないでいると、世継ぎの続かない形勢である。



※第1について小さな誠実とは?


昔、共王とレイコウが戦い共王が敗れたときの話になる
戦時中に将軍の司馬が酒乱であるがゆえに酒を飲まないといいながらも、
部下が気をきかせて
『 こんな少量は酒ではございません、これは将軍にとっては水同様です 』
みたいな洒落を聞かせて酒乱の将軍に酒を飲ませてしまって将軍は湖を飲むが
ように水(酒)を飲んでしまい、共王が明日も攻め立てようと相談に向かった所、陣内は酒の臭いがするので、共王はこう思った、『 これは国家を愛するという忠誠心ももはや無く、わが民のことも気にかけぬという事だと、わしはもう戦うのをやめよう 』、
いう内容で、その時に軍の指揮は崩壊し後に司馬
は斬り殺され大罪のみせしめとなったわけである。


※これは三国志の漫画でもチョウヒを舞台とした似たようなシーンがありました。


※第2小さな利益とは?


昔、献公は虞の国に道を借りてカクの国を討とうと考える。
策略として壁玉(宝石)と馬4頭(名馬)を送り、道を借りて討つ計画をたてた
、王は疑問をもった『 もし贈り物だけ貰って道を貸さないとしたら損じゃないのか?』
策士は言った『 いえ、あちらで道を貸すつもりがないなら贈り物は受け取りません』
『 逆に、受けとって贈り物を手にしても、内倉から外蔵に預けいるだけです まぁ
結局は討つわけですから 』
そして交渉にいった、敵方の策士はそれを見抜き『 許してはいけません、滅ぼされますといったが』敵方の王は欲深くそれらを欲しがり聴きいれず、ついには策のままに
大敗した。


※これから思うのは詐欺師とか悪いビジネスマンはそうで、最初に性欲でフットインザドアをやろうとする、保険の契約をとりたいから初めてにコンパをセッティングできるとか、女をネタに契約させようとするのが経験上多かった。
さらには愛人をネタに支配しようとする輩もいた。
私にはそんな邪臣の様な心理学は通用しないけどね。聖人はそれを見抜けるから『聖人』
という位が与えられるわけです。


第3の行動が偏るとは?


昔、霊王はある土地で諸国の会合をとりしきったが
、ある太子が遅れてきただけで捕らえて牢に入れ、他の主君を馬鹿にし、他の臣下を
拘留した。霊王の臣下が助言した『 諸侯を会合させるには、礼を欠いてはなりません。このたびの会合こそはわがくににとっての存亡の分かれめです。事の大事をいろいろな文献をもちいて説明した。』しかしそれを聴きいれず、霊王は群臣達においこまれ滅亡した。そこで、『 行動が偏って勝ってきまま、外国の諸侯にも無礼なことをしていると、やがて身を滅ぼす結果になる。』というのである。


※主観だけでは世の道理を統率できないので、群臣や聖人とはそれらを補助する、制御する為にいると考えれないと暴君で終わるという事です。
自民党以外の党首が話す内容だと、日本は日本でだけでやれる!みたいな
え?これまでの他国からのサポートをすべて裏切り、無視する発言って狂ってる
宣戦布告なだけやろって、こういう人をさすのです。
いきなり、動物は人間よりも尊いので、動物を粗末にすると処刑するといった
狂った殿様が戦国時代にいましたね、血液型を調べてみましょう、爬虫類が大好きな
血液型であり、政治家でも海外にいきなり宣戦布告する人達はみな同じ血液型です。


第4以降は後は芸術に時間をあてすぎたろ、余裕かましすぎて政治をなめてたり、政治から離れている時間が比例して、群臣達や他国から滅ぼされるという名言です。


以下省略。


これらからイメージするのは安部首相がある芸能人とアイドルとご飯行きましたが
それこそ、まさに韓非子の掟にはんし、釈迦や孔子のような仁徳の尊さを忘れ、民を思う気持ちが遠のいた事だと感じ、韓非子ならきっと『 近代国家の政治家の限界なのかなと 』嘆くでしょう。


現時代の政治家に求められるものは、釈迦や孔子のような仁徳、心理学として韓非子のような帝王学、そして時代にあった次世代の韓非子の育成と魂の継承であってほしいものです。