syakasyakapotetoのブログ

中国古代の儒教家から、帝王学、社長、民衆、政治の心理学を学ぶ。

韓非子(著者 金谷治)第1巻 9項 八姦

韓非子 (著者 金谷治) 第一巻 9項 八姦(姦は悪事。臣下が君権を侵害する悪事に8つの方法があることを述べ、それを防ぐ方法にも言及する。)


※本文参照 文章の一部は、わかりやすく訂正し変更有り


第一は美女を抱かせる、これは君主が心を惑わされるものである。くつろいだ寝室の楽しみにことよせ、飲み食いに満ち足りたときにつけこんで、自分の欲しいものをねだるのは
、これは必ず聞き入れられる方法である。そこで邪臣はひそかにこれらの人に黄金を贈り主君の心を惑わすようにさせる。


※これは芸能界でいう金メダリストとか超有名野球選手とかが餌にされるまでの
イメージそのまんまです。


第二は在傍(君主のお側近くにいるものを利用することである。)
俳優や道化者の身のまわりの近習の事であって、彼らは主君が命令も出さないうちから
『 はい はい 』と答え、使役もしないうちから『 へい へい 』と従い
主君の意志を先取りしてその意図をうけつぎ、主君の容貌を見てとってその心予測する
ものである。それらによって主君の心を誘導するものである。そこで邪臣は黄金を与え、外では不法な事もしてやり、主君の心を変わるようにさせる。


※これもよく出来レースといわれたオーデション番組とかTV番組の仕事が欲しくてパパ活とか枕営業ってイメージそのまんまです。事務所がプロデューサーに取り入ってアイドルを抱かせて仕事とギャラもらうまでの過程、営業です。


第三は父兄(君主のおじたちや兄弟筋を利用することである。)
君主が親愛する者、又は重臣や宮廷の内官の事である、彼らがみな極力論議を尽くしたなら、君主は必ずそれを聞き入れるものである。そこで邪臣は父兄へ美女や歌舞伎を与える
甘い言葉でとりいり、君主に進言してもらう。


※天皇陛下とかに好かれた女性は、家族ごと説得されて、家族は断れるわけなくて
目をつけられたらかわいそうにとは聞いた内容です。


第四はようおう(君主の災いを助長することである。)
君主が堕落するような趣味に対して、邪臣は人民の労力、使い果たす、重税をとりたてて
主君の趣味へ投資する、それによって主君を喜ばせてその心を乱し、主君の欲望をひろげさせて、その間で利益をはかる、災いを養うという意味。


※これもよくある、スポーツ選手にスナックやクラブの女を抱かせて、欲望をひろげて心を乱し、それから薬物で利益をはかるといったイメージ。


第五は省略 ※あまり内容が書くまでも面白くないので


第六は流行(すなわち流れるような弁舌を利用することである。)
詐欺師や雄弁家を探し、うまい話し手を養ったりして、彼らにおのれの利益になることを
話させ、巧妙に飾り立てた言葉で利のある形勢を見せ、害になる心配事で脅しつけ、嘘を並べてその主君をだめにしてしまう。


※孔子いわく、礼があっても仁がなければ関わる価値無し、知識や雄弁が凄くても仁がなければ関わる価値無し、ただただ災いなり。私的な解釈でいうなら、仁とは尊く学ぶ心。


第七、八は省略 ※あまり内容が書くまでも面白くないので


私的にいうなら、この内容はオリンピック選手又は野球選手又はアイドルや芸能界に関連する他業種のお金持ち、スポンサーをターゲットにするまでの戦術以外はイメージがわかない。後は典型的な詐欺師かな。

韓非子(著者 金谷治)第1巻 8項 楊かく

韓非子 第一巻 八項 楊かく


※本文参考


臣下の意見を聞き取る方法として、君主の方はそれに一々対等の相手をしない。
虚心静寂でことさらなことをしないのが、根源としての道のありかたであり、
いろいろな物がまじりあって互いに比べあえるのが、事物のすがたである。


そこで、いろいろとつき合わせて物事を比べ、たがいにまぜあわせて虚心の
道にあわせ、根本の立場を守って変わることがなければ、君主としての動作にも
あやまちがない。動くこと、形づくること、すべてことさらなことをしない無為でいて
、万事を治めてゆくのだ。


※これはビジネスでいうなら、虚心静寂を道として歩めるなら、社長でも管理職でも部下を評価する時にいわゆるパワハラをする上司や邪リーダーの一方的な意見に左右されず平等に判断できるという意味です。
それが戦国時代なら、なおさら邪臣を育成してしまう体制なだけで国が滅ぶという事です。私的には駄目な君主(上司)のありかたがわかれば、それを逆手にとって駄目な上司に、筋道をたてて、説得ができるということでもありますね。善と悪、聖人と邪臣、とあろうが、所詮は人の心理学ですね。
どこでもそうですが、管理職くらいになると相手をいいまかす時にはネタ(邪臣どもの)をあつめ、もちろんブラックなので心理的においこむ準備をしてきます。
しかし韓非子に及ぶわけもないので、学ぶ事で子供の相手をする感じになるという事です。
韓非子と逆の事をしている人、上司がいれば、それはすなわち滅ぼす者だから恐れずに足りず、韓非子が言うままに説けば、攻めればいいだけなのでね。


※本文参照


君主がはかり知れない神秘の中にいるのでなければ、下々は手がかりを得てつけこうもとするであろう。君主が当を得ないと、下々は一定のきまりをたてにとって批判するであろう。天のように、地のようにしておれば、そこに平正が得られる。


官職ごとに一人の専任を置くことだ。そして自分勝手なことをさせないようにしたなら、
職権をひろげたり他人のものを奪ったりはできないわけだ。
重臣の家については、そこに多くの人が集まって党派を組むことをもっとも警戒すべきだ。
およそ、政治が最もうまく行われている時は下々ではそれがわからないものである。
君主が臣下の言葉と実績とをつきあわせてその一致を求める形名参同を行ってさえおれば
、人民はその職務を忠実に行う。


※ビジネスでいうなら企業でいう邪臣面接官、人材派遣が例えるなら近いでしょう
自分好みの人格しか採用しない事によって、企業体制を操作しようとする。
後は、邪臣裁判官、警察官、官僚等、これらの文化を崩壊させれる権力をもつ邪臣を操作するには管理できる権限のあるポジションを設置すればいいという意味。
日本には平等に管理するポジション、これがない。


※本文参照
自分の国をうまく治めてゆきたいと思うなら、必ず徒党の集まりを討つべきである。
徒党を討たずにみのがいていると、彼らはやがて大衆を引き込むだろう。


※まさに今の日本・・ 討たないから、芸能界からユーチューバーからと民衆をまきこんんで自民党を討とうとする、崩壊の大衆を引き込まれる。


※本文参照
君たる者は、たびたびその邪臣の木の枝落としをして枝が四方にはびこらないようにすべてきである。木の枝が四方にひろがれば公家の門をふさぐことになる。大臣の家に人が集まるようになれば、宮廷はからっぽになり、君主は耳目をおおわれてとじこめられてしまうだろう。


※政権交代した時は、自民党はうぬぼれて政治をしなかったのか、これだったんだろうね

韓非子(著者 金谷治)第一巻 4項愛臣~5項主道 

韓非子 第一巻 4項 愛臣(諸侯が大きくなり、重臣が豊になりすぎると、天子や君主が危険になるといい、その対策について)


※本文参照


寵愛する臣下はあまりには慣れ親しむと、必ず君の身をおびやかすことになり、
重臣はあまりに高い身分になると、必ず主君の地位を奪うことになります。
正夫人と第2夫人代3夫人の夫人との間にはっきりした区別をつけておかないと、必ず、
跡継ぎの身が危うくなり、主君の兄弟が喧嘩していると必ず国の存立をおびやかします。
このような格言がある『 兵庫千台の国の君が警戒を怠ると、兵庫百台の家臣が側近で頭を持ちあげ、民主を自分のほうに手なずけてその国を倒すようなことになる。 兵庫万台の大国の君が警戒を怠ると、兵庫千台の家老が側近で頭を持ちあげ、君主の権威をわがものしてその国を倒すようなことになる。』
以下省略。


※君主という運命はよもや、ピラミッドでいうなら自分より下の層に、1瞬たりとも
心を許しては、そのポジション間から邪臣が誕生するという、運命なのだと私的に感じました。聖人以外は信ずるなという事ですね。韓非子いわく、聖人が君主に出仕の礼物を捧げたからには、まはや彼には二心は決して抱くことはない、それが『 聖人 』であると説いています。聖人ともまたそのような運命から誕生しているという意味ですね。


聖人と邪臣は常に戦うような関係もまた、運命なのでしょう。


韓非子 5項 主道(君主の守るべき道)


※本文参照
道とは万物の起こる初めであり、是非の始まる基準である。それゆえ明君は、その初めのを守る事によって万物の始原を知り、その基準を収めることによって成功と失敗との兆しを知る。そこで、虚心の静けさに身をおいて、すべての名が名のほうからあらわれ、すべての事が事のほうで定まっていくように、じっと待機する。虚心であらわすようになるから、そこでその実績と言論をつきあわせて一致するかどうかを調べる事にすれば、君主自身は格別なことをしないでいて、その実情にまかせていけるのである。
以下省略


次に


※本文参照
君主が家の戸じまりをなおざりにして入り口を固めないでいると、やがて位をねらう虎があらわれることになるだろう。事を慎重に行わないでないじょうを隠すこともしないでいると、やがて陰謀の賊が起こることになるだろう。
自分の主君を殺してその地位にとってかわり、だれもが恐れて服従する、そこでそれを虎というのだ。自分の主君の側にいて主君の秘め事を探りだそうとする、そこでそれを賊と言うのだ。


人の君たるものには五つのふさがりがある
臣下が君主の耳目を閉ざしてしまうのが『ふさがり』であり
かってに命令を下す
かってに理屈をとおす
臣下が私党を組む
君主の耳目をふさいでしまう
こうなると、君主は位を失うことになり、国の財政を握られ、恩徳の権利を剥奪され
君主は統制、をコントロールする名文、味方、権利を略奪される事になる。
これらの権利は君主だけが自由にすべきことであって、人臣が手にしてはいけないのである。
以下省略。


しかし、なんでこんな韓非子といった歴史的な賢者の政治術の本が世にでているのに
その理論を全て裏切っているような日本の政治体制は


どういう事?って思いますね。


賢者は歴史から学び、愚者は自分から学ぶ


これの意味は愚かだとか、賢いではなく


自分から学んだ所で近代文化での100年分しか成長がないし、失敗からしか、答えは学べない国が争い、滅び、最も聖人や政治家が必要とされた時代の賢者の方が重みも覚悟も境遇も桁が違うと言う事ですね。


韓非子の一文にこうあります


『 古代の聖王達は、こう考えた
自身の能力だけで、邪臣、群臣を従えるには時間も膨大に必要な上に、能力がおいつかない、だから現代でいうなら徹底した法律のみで従う方法を考えた 』と
親であれ、子であれなんであれ法律がすべてであるという、統制の術ですね。


賢者は歴史から政治の統制術や心理学を平和や社会に役立てようと学び、愚者は自分の人生から自己満足の悟りを開こうとする


と訂正するべきですね。